元夫から「離婚したい」と言われた日のことは、今でも鮮明に覚えている。理由は曖昧、態度は妙に軽い。まるで、次の予定がもう決まっている人間の顔だった。
だから私は、必要な手続きだけ淡々と済ませた。情に縛られて時間を浪費するより、先に自分の生活を立て直すほうが大事だと思ったからだ。
――そして離婚から三日後。
スマホが震えた。共通の知人からのメッセージだった。
「元旦那、もう再婚したよ。『顔、性格、家柄、最高の嫁!』って騒いでる」
三日後に再婚。早すぎて逆に清々しい。私は不快というより、「やっぱりね」という気持ちのほうが強かった。けれど次の一文で、私は腹の奥がくすぐられる感覚を覚えた。
「写真送るね」
届いた画像を開いた瞬間、私は――本当に腹を抱えて大爆笑した。
だって、その“最高の嫁”は。
私の高校時代の同級生だった。しかも、かつて私が元夫を紹介したことがある相手。さらに言えば、昔から「見栄のためなら話を盛る」ことで有名で、SNSのプロフィールが季節ごとに別人みたいに変わるタイプの人間だった。
いや、それだけならまだ“笑う”まではいかない。
私が爆笑した理由は、もっと決定的だった。
その写真の背景――元夫が「俺の持ち家」と自慢していたタワマンのリビングで、彼女がポーズを取っていたからだ。
ああ、なるほど。
彼はまだ、知らない。
私が静かに引っ越したあと、あの部屋がどうなったのかを。
私は笑いすぎて涙が出るのを拭いながら、知人に短く返した。
「ありがとう。最高のネタを見た」
その日の夜、元夫から着信が来た。離婚後に連絡してくる時点で、だいたい察しはつく。
「おい。なんか、部屋の鍵が使えないんだけど」
声が焦っている。背後で女の声もする。新妻だろう。
私は、できるだけ丁寧に答えた。
「うん。交換したよ」
「は? なんで勝手に――」
「勝手じゃない。名義が私だから。管理会社にも届け出済み。あなたは居住者じゃない」
沈黙。新妻が小さく「え?」と言うのが聞こえた。
元夫は、取り繕うように言った。
「いや、でも新婚なんだぞ? 住むところが――」
「再婚が早いね。三日後って、世界記録?」
「茶化すなよ!」
私は笑いを抑えながら、最後の説明をした。
「あの部屋、売却の決済も終わってる。あなたが『ローン完済お疲れw』って言った日に、もう話は動いてた」
「……売った?」
「そう。あなたの“最高の嫁”に見せた景色、もうあなたの人生の背景じゃないよ」
新妻の声が急に大きくなった。
「ちょっと待って! ねえ、ここあなたの家って言ったじゃない! タワマン複数って!」
元夫がしどろもどろに言う。
「いや、それは、結婚したら…なんとか…」
私はここで、また笑ってしまった。声を出して笑ったのは久しぶりだった。
彼が選んだ“最高の嫁”は、肩書きと箱が大好きな人間だ。
その箱が他人の名義だと知った瞬間、彼女の評価は音を立てて崩れる。
元夫は慌てて私に言った。
「お前、今さら嫌がらせか?」
「違うよ。私は離婚した日に、あなたの人生から降りた。これはただの事実。あなたが勘違いしてただけ」
電話の向こうで、新妻が冷たく言った。
「ねえ。私、聞いてないことが多すぎるんだけど。家柄が最高って言ったよね? あなたの実家、借金あるって本当?」
元夫が言葉に詰まる。
……おそらく、彼は“盛って”いたのだろう。
私には分かる。彼はいつもそうだった。都合のいい話を先に置いて、現実は後回し。
そのツケは、いつも周りが払う。
でも今回は違う。
払わされる側に、私はもういない。
最後に私は、元夫へ一言だけ告げた。
「あなたが『顔、性格、家柄、最高の嫁!』って言ってるうちは、まだ幸せな気分でいられると思う。現実が来るのは、これからだよ」
そして通話を切った。
三日後に再婚できる人は、たぶん三日後に崩れる。
それが早いだけ。
私は腹を抱えて笑ったあと、ふっと肩の力が抜けた。
彼が何を選んだかより、私が何を手放したかのほうが大事だ。
“最高の嫁”を見た瞬間に爆笑した理由は、結局これに尽きる。
彼が褒めていたのは、彼女じゃない。
彼女の後ろにある“物”と“肩書き”だった。
しかも、その肝心の背景は――最初から私のものだったのだから。